祖母

    216 :名無しさん@おーぷん2016/06/12(日) 10:10:03ID:ebp
    去年タヒんだジイサンの葬式での話。
    会社経営から引退した後、遊び人風だった俺のジイサンが去年亡くなったんだが、葬儀の会場に次々と現れる水商売っぽい女性.たち。
    キ/ャバでバイトしてる中学の同級生もきていたり・・・。
    外国人も結構いてフィリピン?ロシア?中国or韓国?ブラジル?
    見た感じで言ってるので間違えてるかもしれないが20人くらい外国人もいた。
    中には2~3歳くらいの子供連れてる女性.(ロシア?)までいて、心中「もしやジイサンの?」
    などと考えたりして八ラ八ラでした。
    集まってた親戚も微妙な空気になっていましたが、一部葬式には派手かなという服装の人もいましたが、葬式自体はとどこおりなく終了。
    中学の時可愛いなと思っていた同級生が涙ぐむのを見て微妙な気持ちになりましたし、
    果たしてバアサンの心境やいかに・・・?と考えて一人で修羅場に。
    ところが後で聞いてみると亡くなる前に入院してた時に御見舞いに来た人もいたようでバアサンもそれなりの人数が葬式に来るだろうということは予想していたらしい。
    葬儀会場でもバアサンと談笑してる人もいたから冷静に考えれば修羅場でも何でもなかったかも?
    そんなわけで思いもかけずやたら華やかな葬儀となりました。
    先日1周忌の法事があったのですが、さすがにそこには外国人がいっぱい来たりはしてなかったのですが、ロシア風の子供を連れた女性.だけが来ていてますます「もしや・・?」という疑念が・・。
    さすがにその件は聞いていませんが、遊び人とは聞いていたけどいくらなんでも遊びすぎだったんじゃないかと身内ながら恥ずかしい今日この頃です。

    779 :名無しさん@おーぷん2014/10/25(土) 16:01:16ID:dhxPrgy1l
    俺は独り暮らしを始めてから料理に開眼した。
    それまでは実家ではなーんもしてなかった。母が専業主婦で姉も祖母もいて
    家事をする手が足りてたのと、部活ばっかやってたんで洗濯物のたたみ方も知らんかった。
    しかし進学で一人暮らし開始、コンビニ弁当に早々と飽き
    モヤシ炒めから始めて、炒め系に飽きて煮物系の本を買ったりなんだりで
    そのうち料理が好きになり、人に食ってもらえるレベルにまでなった。

    ある日家に帰ってみると、鍋いっぱいに作ったはずのおでんがなかった。
    後輩たち(いつもメシ作って食わせてやってた。食費はもらってた)が勝手に食ったのかな?と思い
    まあいいやあとで請求しようとその時はあんま気にしなかった。
    ちなみに戸締りははっきり言っていいかげんで、鍵しめてないことも多かった。
    誰でも出入りできると言って過言でない状態だった。

    後日ふたたび鶏の治部煮が消えるという事件が起きた。その時はさすがに腹立って
    後輩に「おまえ黙って食うんじゃねーよ。金も払え」と言った。
    そしたら後輩は「オレたちじゃない」と否定。
    「おでんは?治部煮は?」と聞くと「知らない、それ空き巣じゃないんですか」と言われ
    やっとその可能性.に思い当たって警察を呼んだ。

    その夜、実家に電話して「空き巣に入られたから警察呼んだ」と言った。
    母がそれを家族に報告したら、祖母がファビョって「なんで警察なんか呼ぶんだ」と自爆した。
    家族のだれも知らなかったが、祖母は昼間俺がいない時間帯
    タクシーでちょくちょくアパートに来て俺の部屋に出入りしてたらしい。
    祖母いわく「様子見。確認」
    そしていつからか部屋に料理の入った鍋やフライパンが置かれるようになった。
    俺が料理なんかできないと思ってる祖母は、てっきり母が作りに来てると思ったらしい。
    母が料理しに来る→俺が帰る前に捨てる→母の落ち度になる
    という論法により、鍋の中身を持参のビニール袋に入れて持ち帰り、畑の堆肥にぶちこんでいたという…

    それまで祖母が嫁いびりしてると知らなかった俺はビックリ。
    姉は知ってた。親父も知ってたっぽい。
    母は呆れてた。
    俺はそれ以来戸締りをしっかりするようになり、祖母はむやみにタクシーを呼べないよう
    電話帳を隠された(電話帳がないとタクシーの番号覚えてないし、携帯もないからかけられない)

    おでん代と治部煮代は、なぜか父のポケットマネーから補填された。
    カレーを捨てた姑が鍋でぶん殴られたという記事を見て思い出した話。

    【前編】私が生まれてすぐ母が男作って逃げた。離婚後に父に引き取られたが、子供に無関心で祖母からの虐待も放置。でも祖父だけは私に優しかった。が、そんな祖父も…
    404: 1 2011/04/02(土) 01:10:19.17 ID:oWtmuCUkO
    報告しとこうかな 
    マリコさんが聞いたみたい 
    「なんで1ちゃんに冷たくするの」って 

    そしたら、父さんこう言ったらしい 
    「あいつの陰気な顔が気にくわない。自分だけが不幸みたいな面してる」 

    名前も言わないんだなぁって思った 
    今更なんだけどね 

    「自分の娘なのに酷い扱いするのね」 
    マリコさんがそう言ったら、すっごい低い声で言ったんだって 

    「俺の娘かどうかはわからんからな」 
    確認したらよかったのにね 
    確認してもし違ってたら…とかあったのかな 
    陰気な顔とか、そんなこと言われてもそんなにショックじゃない 
    私よりかマリコさんのがショック受けてるかもしれない

    1: 名も無き被検体774号+ 2011/02/20(日) 23:31:42.36 ID:KcKZ+sSAO
    立つかな 
    立ったら詳細

    283 :名無しさん@HOME2017/11/24(金) 21:30:52ID:r10szS2vh
    厳密には修羅場とは違うかもしれないけど、
    さっき行った店で「トイレの神様」が流れてるの聞いてわーっとフラッシュバックして誰か知らない人に聞いてもらいたいから
    あの歌の歌詞と同じように実家と敷地内の小さな離れで、私は祖母と暮らしていた
    母屋には親と妹弟が住んでた。お風呂は母屋にあって、離れには和式トイレと小さな台所と畳の部屋が2つ
    その頃は特におかしいとは思わなかった、祖母はとても可愛がって育ててくれた、あの歌みたいに
    大きくなって母に聞いても「下が性.別の違う双子で育てるのが大変だったから、あんたの世話をお婆ちゃんに頼んだ」と説明されて納得してた
    でもそれは半分嘘だった
    あと、祖母は父の母だとなんとなく思っていたが、母の母だった
    聞かなきゃ実の母子だと感じないくらい淡々と他人行儀だったんだ

    祖母がタヒぬ前に少しボケてて、私のことを「自分の子」て言った
    心に引っかかったまま誰にも言わなかったまま祖母は他界、私は県外へ就職した
    実家の親とはなんとなく疎遠になってて父が危篤だと呼ばれて久方ぶりに地元に戻った
    父はなくなって、お通夜で聞いた話で謎は全て解けたがとんだ羅刹の家だった

    祖母は早くに夫をなくして女手一つで一人娘の母を育てた
    祖母の年下の恋人を母が寝取った、それで出来たのが私
    デキ婚の責任を取って父と母は結婚したけど祖母と父の関係を疑って妊娠中の母が精神を病んだらしい
    出産して帰ってきても自分の産んだ子だと認めないで、祖母の子だと言い張る
    近所の好奇の目もあるので引っ越して今の家に住んだんだそう

    私と祖母が目の前から消えたので母は快方に向かい、妹弟(双子)が生まれて完全に治った
    でも私を戻す勇気も踏ん切りもつかないまま、祖母が可愛がるから任せていたと

    後年はボケが始まって祖母も少し心を病んでいたのか私を父と自分の間の子だと思いこんでたらしい

    母が何でぶちまけたかというと父が亡くなって身の回り品を片付けていたら祖母の写真と遺骨のかけらがあったんだそう
    写真の裏に「棺に入れてほしい。ごめんなさい」と書いてあったそう
    「絶対一緒に入れるもんかと思って病院の給湯室のゴミ箱にちぎって捨てた」と母が言う

    母とも祖母とも関わりを絶ちたくて、全て弟妹に任せてそれきり地元に帰ってない
    付き合ってる人もいるけど結婚は実家に挨拶とかイヤなので考えてもない

    574 :1/22017/10/16(月) 10:39:07ID:TZz
    うちの母親と祖母の神経がわからん。
    うちは、3人姉弟。私真ん中。母親いわくずっと男の子がほしくて頑張ってたらしく、5個下に待望の男の子。
    待望の男の子だけあって、両親も祖母も小さい頃からまあ、弟を可愛がる可愛がる。
    軽く例をあげると
    ・幼少期私や姉が勝手に家にあるお菓子を食べたら「泥棒」ってビンタして怒ってたのに弟にたいしては「お腹減ってたんだもんねぇ~自分で取れて偉いねぇ~(猫なで声)」
    ・私や姉は、中学校に入ってからのお弁当前日のごはんの残り物なんかを自分で詰めて行って、帰ってきたら自分で洗ってた。
    弟は全部朝早くから母親が手作りして詰めて鞄にいれてあげて、帰ってきたら鞄から祖母が鞄からお弁当箱出して洗ってあげてた。
    ・学校の時間割も親か祖母が全部準備してあげていた。時間割をメモしていないときには、親が同級生の家に電話をして必要なものを聞いて準備してあげていた。
    etc.etc.他にもやるべきことは全部親が代わりにやってあげて、嫌なことはしなくていい。
    悪いことしてもたーちゃん(弟の両親と祖母からの呼び名)は悪くない!でめちゃくちゃモンペになってた(特にモンペ度合いが酷かったのが父)
    勉強しないでテストで赤点とっても、「頑張ったたーちゃんにこんな点数つけるなんて!」って学校にクレームの電話とか入れる恥ずかしいバカ親になってた。
    続きます

    847 :名無しさん@HOME 2012/12/17(月) 02:59:44 0
    私夫婦、義兄夫婦、義両親で話してた時、着物の話題になった。 
    私が、持ってはいるけど着る機会がない。無地の着物なんて特に…と言ったら 
    義母が「今度のコトメの成人式(のお披露目食事会)で着たら?」と提案。義母の義母であるお婆ちゃんが、着物好きだからと。 
    義母は「嫁子さんがよければ」ってスタンスだったんだけど、何故か義兄嫁が「絶対着てきて!私も着物で行くから!」 
    と、ものすごいプッシュ。義母も「義兄嫁さん、着物好きだったの?」と驚くほど。 

    お婆ちゃんを喜ばせたいというのもあって、義母、義兄嫁、嫁子(私)は、着物で出ましょうね、ということにした。 
    このとき、約束ってほどでもないけど「主役はコトメだから、コトメを食わない程度の華やかさでね」っていう話も出ててた。

    49: おさかなくわえた名無しさん[sage] 2019/02/06(水) 10:27:42.22 ID:mJQA21St.net
    2年弱付き合った元彼。
    30歳、都心に実家があるから便利すぎて一人暮らしする気おきないなーと実家住み。

    ある日、彼の祖母が施設に行くことになったと話してくれた。
    彼「痴呆が進んでお袋も外出できないくらいだったみたいだし、仕方ないよね?」
    他人事みたいな言い方だなぁと思ったけど、それこそ他人様の家のことだし、そうだねーと流してた。
    でもそのあとの一言で決定的に無理になった。

    彼「介護お疲れ様!ってことで、お袋に旅行でもプレゼントしようかな?」

    いやいやいや。
    そう思うんなら1秒でも早く家出ろよ。
    終わったあとに旅行じゃなくて、家事介護手伝えよ。ご飯買って帰れよ。ヘルパー代出してやれよ。

    続きます。

    656 :2016/08/06(土) 00:01:58ID:O9Z
    昨年の暮れに会ったときは元気だった祖母がボケ始め、数か月で一気に認知症が進行し、
    母の友人のツテで特別養護老人ホームに入ることになった。

    4月くらいに実家に帰った際、祖母と同居していた両親とホームに面会に行ったら、
    祖母は俺の顔も名前も覚えてなかった。

    幼い頃から可愛がってもらっていたのですごくショックだったが、
    今までずっと家で農作業や家事を気張ってやっていた分、
    これからはホームで悠々自適に過ごして欲しいと思うようにした。

    それからしばらくして、仕事中に違和感を感じることが多くなった。

    毎日書いているはずの書類に書く言葉が出てこない。
    いつもは電卓など使わずに計算してる計算ができない。
    毎日顔を合わせているはずの同僚の名前が出てこない。
    引継ぎで言うべきことがわからない。
    引き継がれたことが覚えられない。

    そんな状態が一週間くらい続き、仕事でミスが増えた。
    祖母のことがあまりにショックで、自分が思うよりもずっと精神的に疲れてるんだろうと思い、
    数日間有休をとって実家に帰った。

    続きます

    156 :名無しさん@おーぷん
    もう10数年前だが、祖母が新聞紙に包まれてた重い何かを私に渡して、
    「絶対みんなにバレないようにあなたが隠して持ってなさい。私がタヒんだらそれを持ってこの家
    を出なさい。必ず大事に使いなさい、この家にもう戻ってはいけないよ」と言った。

    この時私は高校出て、家事と寝たきりの祖母の介護をしてた。夜の介護も私なので同室。
    大学は「馬鹿だから行くな」と親に言われた。
    子供の頃から塾に通っていい大学に行った兄に比べれば、私は塾も習い事も行ったことない
    馬鹿なので、しょうがないなと思ってた。
    兄の習い事での表彰状が家じゅうに貼ってあった。羨ましかったけど、「お前には引っくり返っても
    貰えないよ」と祖母以外のみんなに言われて育ってたので、そうなんだなと思った。

    祖母は「○○ちゃん(私)だって賢い子だよ」と言ってくれたが、家の中で病気がちな祖母の発言は弱かった。
    家は会社人間の父と、趣味と社交に没頭する母、出来る兄と、奴隷要員の私と、ガンの手術と再発を繰り返
    してる祖母の5人暮らしだった。

    祖母は冒頭の会話の二年後、最後のガン手術から結局回復しないまま心不全で他界した。
    祖母の部屋からは手術前に残した手紙が見つかって、
    「数年前○○会社の○○と名乗る男性.のつまらない投資詐欺に騙されて、お父さん(祖父)から相続
    した貯金をほとんど無くしてしまいました。恥ずかしくて今まで隠してました。ごめんね」
    という内容だった。

    両親と兄は「介護までしたのに!恩知らずのババアが!!」と大激怒。
    私はただ泣いていた。

    祖母の介護がなくなったので、私は家を出ることにした。
    両親は「家事はどうするんだ」と怒ってたけど、結局は「高卒出のバイト暮らしなんて、
    すぐ立ち行かなくなるぞ」「週末は家事しに戻ってこい」と言って送り出してくれた。

    それが両親の顔を見た最後。兄の顔見た最後はいつだったか。全然思いだせない。
    祖母から預かった新聞紙の包みの中身は知ってた。
    アパート借りる保証人になってもらう時親に見せた住所は偽物。
    遅くなったけど専門学校に入り資格を取り就職、その後縁あって結婚も出来た。

    祖母のお金は入学金とバイトが見つかるまでの生活費にしか使わず、結局まだほとんどが金庫に
    残っている。
    これがあれば何も怖くないよと、いつも祖母が背中を押してくれてるような気がしてる。

    贈与税とか色々ダーティーなお金なのでスレタイ。

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